BACK 白山
7月20日
白山をあとに車を走らせていくと、途中市ノ瀬というところがあって、ここには白山温泉の表示がある。
ここで温泉に入ろうかと思ったが、車がいっぱいであきらめた。
通常、車で来た登山者はここで車を停車させられて、バスに乗り換えて別当出合に行かなければいけないのだ。
さらに走って白峰の集落に着いた。ここは昔から白山登山口にあたるため、落ち着いた感じの古い家並みが残っている。
ここで撮影。
そしてここにあった温泉に行った。
温泉で汗を流して、のんびりしてから荒島岳をめざした。
荒島岳の登山口は帰る途中にある。
JRの勝原駅を過ぎると、右手にスキー場があって、これが登山口になる。
スキー場には広い駐車場があり、4〜5台の車が停まっていた。彼らも明日、荒島岳に登るようだ。車の横でテーブルを出して食事をしている人もいて、自分もこれにならう。
私が山に行くときは、車に4人用のダンロップH型テントを積んでいて、さらに折りたたみのテーブルと椅子。炊事用にはコールマンの2バーナーコンロ、灯りにコールマンの2芯ランプがトランクに入っている。
焼き肉をして、缶ビールを飲んで、ほろ酔いになって、テントで寝た。
7月21日
今日は荒島岳に登る。
登山は勝原スキー場のゲレンデを登ることから始まる。
日本百名山のなかで、一番批判のあるのはこの山かもしれない。
深田久弥は品格という観点からこの山を百名山に選んだというが、単に自分の故郷の山を贔屓しただけではないかという批判を見聞きする。
でも、それはそれでいいんではないかと思う。
百名山はあくまでも深田久弥個人が選定したものであって、「日本百名山」というのは深田久弥の文学作品でもある。
それをとやかく言ってもしょうがないのではないか。
それに、人にはそれぞれ、自分にとって本当に大切な山があるんだと思う。
たとえば、私にとって大切な山は故郷の岩木山で、子供のときからいつも見てきたし、学校の通学のとき、就職で津軽を離れるとき、いつだって岩木山とともにあったような気がする。
だから、だれが何といったって、自分にとってナンバーワンの山は岩木山である。
同じように、深田久弥がこの山を選んだのは、深田久弥自身にとって、とてもとても大切な山だったんだと思うのだ。
スキー場ゲレンデを1時間足らずジグザグに登っていくと、リフトの終点に着く。
ここから山道になる。
ここからは下を見下ろすと、九頭竜川が大きくうねりながら流れているのが見えた。
登山道は林の中に入って、歩くにつれてだんだん登りは急になる。
急坂を登りきると、荒島岳と小荒島岳の中間の鞍部に着く。ここがシャクナゲ平。
ここからはけっこうきつい登りで、鎖場があったりするが、1時間で荒島岳山頂に着いた。
山頂直前から、山頂と思われるところに四角いビルのようなものが見える。
ガイドブックに建設省の無線中継所の建物があると書いてあったが、これかと納得した。
とはいえ、百名山の山頂にこんなものを建てるか、と愕然としてしまう。(最近、この建造物は撤去されたらしい)
でも、建設省にとっては百名山なんて関係ないだろうからネ。
山頂は人工の建造物でけっこう賑やかで、この中継所のビルのような建物とか、電波の反射板が立っていたりで、昔登った六甲山を思い出してしまった。
山頂には三角点があって、その傍に小さな石の祠があった。
ビデオはこれを中心に撮った。
でも、今考えてみるとビルのような中継所もぜひ記念に撮っておくべきだったと思う。
山頂から来た道を引き返す。
シャクナゲ平まで引き返して、そこから小荒島岳に登るかどうか悩んだ。
結局あきらめた。
本当は中出コースを縦走したかったのだが、ここから栃木県までは遠い。
登山口に帰ってきたのは3時半頃。
車を走らせて行くと温泉があったので、ここで汗を流した。
風呂でリフレッシュして、飛騨高山から安房峠越えにかかる。最近、安房トンネルが開通したようで、道路地図ではジグザグの峠道のはずが、道は真っ直ぐにトンネルに入っていく。
このトンネルを抜けるとすぐに上高地釜トンネルの手前である。時間が短縮できたと喜んだのもつかの間、ここで大渋滞に巻き込まれた。さすがにこの紅葉の時期の上高地というのは観光客であふれ返っている。
帰路の500kmを走りぬいて、小山に着いたのは真夜中の2時を過ぎていた。
明日からまた、大忙しの仕事が待っている。
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