]
層雲峡を経由。銀河の滝
サロベツ原生花園から利尻岳
利尻島行きのフェリー
フェリーから夕焼けがきれいだった
礼文島の夕焼け
甘露水付近。このあたりで寝た
海の向こうは礼文島
鴛泊港
7合目
|
|
北海道に転勤してきたのが1991年のことで、この頃から100名山を意識して登るようになった。釧路には3年住んだのだが、この最初の年で道内の100名山の9座はすべて登った。
この利尻岳は100名山の最北の山である。
ただし、北海道は広い。釧路から稚内までは車で丸々1日かかってしまうのだ。キロ数で片道500km以上ある。
北海道の登山を経験したおかげで、長距離を運転して登山に行くというのがあたりまえの感覚になった。
1991年の9月14日、早朝に釧路を出発。
途中、層雲峡に寄って観光した。
北海道のドライブというのは快適で、道は真っ直ぐ、信号は少ない、車も少ない。普通に走っているといつのまにか100kmを越えているという状態で、一般道であっても内地の高速道路みたいなものである。
本当はものすごいスピード違反なのだが、70kmくらいのスピードでトロトロ走っているとどんどん追い抜かれてしまう。内地の常識は通用しないのだ。
日本海側に抜けて、海辺の道を走り続けるとサロベツ原生花園につく。きれいな花の咲くところなのだが、この時期は花にはちょっと遅い。しかし、ここからは海に浮かぶ利尻岳を見ることができる。すごい、あの山に登るんだ。なんかワクワクしてくる。
ともかくこの日は、稚内発最終の利尻行きフェリーに乗ることが目的である。出航は5時くらいである。なんとか予定の時間に間に合った。
車はフェリー乗り場前の適当なところに路上駐車した。
稚内からフェリーに乗って利尻を目指す。
稚内を出た船はいったん北上するが、すぐに西に向かって大きなカーブを描き、やがて南下しはじめる。そうすると、フェリーの進む方向に利尻岳が大きく見えてくる。深田久弥がいうように「海の上に大きく浮かんだ山」であった。
次第に空が夕焼けで赤く染まり始めて、日没のときは本当にきれいな夕焼けであった。礼文島に向かって日が沈み、そのとき空は黄金色からピンクに、そして赤く染まっていった。
このきれいな夕焼けを見ながら明日の快晴を期待する。
利尻岳は海抜0mから山頂の1719mまで登ることに意味があると思うのだ。このこだわりから、船か下りてまず海の水に手を浸した。そして歩き始める。
鴛泊港から街を抜けてキャンプ場方向へ向かう。街を抜けるまでの道がわかりにくかった。
今回の登山は夜間登山をしようと思っている。長官山の山小屋まで行って、そこで泊まろうと思っていたので、野営の道具は持ってきていない。シュラフだけは夏用の一番軽いのを持ってきていた。
真っ暗の中を歩いていたのだが、3合目の甘露泉という水場のあたりまで来たところで、ヘッドライトの電池がだんだん暗くなってきた。予備にあと4本の新しい電池をもっているのだが、このペースで消耗していったら長官山まではとても持ちそうもない。
しかたがないので、この3合目の甘露泉のあたりでビバークすることにした。
テントは持ってきていないので、どこか適当なところはないかと探したら、甘露泉のすぐ近くにりっぱな東屋があった。そのまんなかに大きなテーブルがあったので、その上に寝ることにした。
9月15日
6時頃に歩き始めた。
次第に高度が上がってくると、昨日フェリーで着いた鴛泊港や礼文島が見えてきた。
今日は天気もよくて、絶好の登山日和だ。
登山道から海を見ながら山を登る。昔、九州の開聞岳を登ったときのことを思い出す。
7合目に着く。
ここには標識があって、そこに標高が書いてある。驚いたのは7合目なのに、まだ標高は1000mを越えていなかったことである。さすがに海抜0mからだと登るのは大変である。
長官山には9時半頃に着いた。
ここから見る利尻岳山頂の展望は素晴らしくて、しばらく眺めていた。
そうすると、雲ひとつなかった山頂に次第に雲がまとわりついてきて、あっという間に雲に隠れてしまった。
|