2001/8/3
標高 1695m

大台ケ原山は私が初めて一人で登った本格的な山だ。私がまだ20歳で、大阪に住んでいたときのことである。

大台ケ原に棲む鹿たち


大台ケ原は私にとっては忘れることのできない山である。
私が初めて一人で登った本格的な山だ。
それは私がまだ20歳で、大阪に住んでいたときのことである。
職場親睦の登山計画をたてたのだが、土曜日の午後から大阪を出るのではではちょっと無理だということで否決されてしまった。
仕方がないので自分一人で登ることにしたのだ。
バスで大台ケ原に着いたときは真っ暗になっていた。この日は大台ケ原山の教会に泊まった。
夕食のあと、山小屋の主人が山の話をしてくれた。
道に迷って、夜の暗い中歩き回ったという話だった。
今でも覚えているのだが、月のない夜でもある程度明かりはあるものだということと、足の踏んだ感覚で獣道と登山道は区別がつくということだった。
この話は、夜道を歩くときに今でも思い出す。
私は夜道を歩くとき、ほとんど電灯をつけない。電灯をつけてしまうとその照らす範囲しか見えなくなってしまうのだ。
それに、月のない夜であっても不思議と空には明るさがあって、道を判別することができるのだ。
要するに、私はこの時の話を今も実践しているのだ。
翌朝は暗いうちに小屋を出て、最高峰の日出カ岳に登った。これは本当に簡単に登れてしまってあっけなかったのだが、そこから下った大杉谷がすばらしかった。
時間がなかったのでほとんど走るようにして下った。そしてなんとか渡し舟の最終便に間に合った。
私が山のとりこになってしまったのはこの時からだったと思う。



この週末は池口岳と鋸岳に登ろうと思っていた。
だが、天気がよくない。
今週の登山はあきらめようと思ったのだが、全国の天気予報をみると名古屋・大阪は晴れるようだ。そこで、この大台ケ原に登ることにした。
栃木市から阿倍野まで夜行バスがある。これに乗ろうと思って電話したが満席とのこと。
仕方がないのでJRで行くことにした。
時刻表を見ると東京から大垣行き夜行の各駅停車がある。
これで名古屋まで行って、そこから近鉄に乗り換えればいい。
仕事を終え、家に帰ってから、おおあわてでザックに荷物をつめた。今回は山中で1泊しなければいけない。テントとシュラフが必要だ。ザックはかなり重たくなった。
小山発2142分の快速に乗って上野まで行く。山の手線に乗り換えて品川まで行った。
今の時期、大垣行き各駅停車は品川から出発するのだ。
駅のホームに行って驚いた。プラットホームは人であふれ返っていた。なんなのだこれは、と思ってしまった。
今は夏休みで、学生達が旅行するときで、それにこの春、大阪にはユニバーザルスタジオができて、これをめざす連中かもしれない。
当然、席にはすわれなかった。
仕方がないので床にザックを置いて、その上に座った。
一晩、このザックの上ですごすことになった。
完璧な睡眠不足だった。
名古屋には519分着。近鉄に乗り換える。
これも時刻表で調べたのだが、名古屋発の一番早い特急は7時までない。
ところが、桑名発6時の特急がある。そこで名古屋531分発の急行に乗って津まで行き、ここで特急を待つことにした。
津には629分に着いて、特急は648分発だ。
大和八木に着いたのは756分。ここで橿原神宮へ向かう電車に乗り換える。
そしてさらに、橿原神宮で吉野に向かう電車に乗り換えた。
橿原神宮発831分の列車に乗った。
これで9時半発の大台ケ原行きのバスに間に合う。
しかし、ここで大失敗をしてしまった。
下車する駅は大和上市なのに、大和下市口で降りてしまったのだ。登山者がゾロゾロと降りるので、これにつられて降りてしまった。彼らは吉野山に登る人たちだった。
駅前のバス停留場に行ったが、大台ケ原行きのバスがない。
やっと駅を間違えたことに気がついた。
あわてて駅に戻って時間をみると、911分発の特急がある。これに乗ることにした。
おかげで余分に運賃220円と特急料金500円払うはめになった。
大和上市には926分頃に着いた。急いでバス停に向かう。なんとか当初予定していた930分発のバスに乗ることができた。
バスに乗っている時間は長い。
到着は1114分である。2時間近くバスに乗るのだ。
バスの中では眠かった。昨日はほとんど眠れなかったのだから。
大台ケ原には予定通りの時間に到着。
晴れ。
ここまではサンダルに半ズボンでやってきたので、着替えて11時半に歩き始めた。
まず大蛇ーを目指す。
道がよくわからなかった。大台荘という山小屋まで行ってしまって、道はそこで行き止まりだった。
小屋の人に訊くと少し手前にシオカラ谷に下る道があって、この道を行くのだそうだ。
どんどん下る。こんなに下ってしまっていいのか、途中で心配になってしまった。
下り着いたところには小さな吊り橋があって、その下には沢が流れている。家族連れが水遊びをしていた。

橋を渡ると、一転して登りになる。
ようやく登りついて、この稜線の道から右に下る。15分ほど下ると岩の上に出て、展望が開ける。ここが大蛇ー。
下に鋭く切り立った岩峰が見える。
すばらしい景色。
今から30年前、この大台ケ原に来たときは、まっすぐ日出ケ岳に登ってそのまま大杉谷に下ってしまったので、大蛇ーは初めてだ。
大台ケ原に来たら、ここには絶対に立ち寄るべきだと思った。
稜線に戻って、少し行くと牛石ケ平に出る。
鹿がいた。大台ケ原には鹿が住んでいたのだ。初めて知った。
牛石平は笹の草原。その所々に白く風化した木の骸が転がっている。
なんともいえない風景だ。
これが大台ケ原の代表的な風景なのだそうだ。
牛石ヶ原の端に神武天皇の像が立っていた。
神武天皇は九州の宮崎から出航して、大和に攻め入る。そして、樫原神宮のあたりで初代天皇に即位するのだ。
日本書紀とか古事記では熊野から宇陀に抜けたという。
なるほど、神武天皇はこの大台ケ原を通ったのか。

さらに進むと正木峠に至る。
ここにも白く立ち枯れた木々が林立している。
木の墓場といった感じだ。
この間を縫って木の階段が続いている。
この風景は昭和30年の台風で、木々がなぎ倒されたことによってできたものらしい。
所々に案内板が建っていて、そこには鹿がこの樹木の樹皮を食べることによって木が枯れる原因になっているとも書かれていた。木の新しい芽が出てきてもそれを鹿が食べてしまうというのだ。
鹿を保護することも大事だが、その鹿が繁殖することによって森林が荒らされる。
自然保護を叫ぶ人たちはどちらを選択するのだろう。
正木峠のすぐ隣にピークがあって、そこには展望台が見える。これが日出ケ岳のようだ。
大台ケ原の最高峰だ。近い。
頂上に着いたのは1時。展望台の横に三角点があって、山名が刻まれた小さな石柱があった。
展望台に登る。
天気は晴れているのだが、遠くの山々は霞んで見えない。大峰の山並みも見えているのだが、写真に撮ってもはっきりしない。
また、ここからは海も見えるらしいのだ。だけど地平線は白くなっていてよくわからなかった。
残念だ。
いよいよ大杉谷に下る。
なんか今日は調子が悪い。睡眠不足のせいかもしれない。
急下降する。
途中にシャクナゲ平というところがある。
確かにシャクナゲの大群落地であった。ところがその木々は半分枯れかかっているようで、何か精彩がない。これも自然破壊の現われか。
下りなのに疲労が激しい。
粟谷小屋と堂倉避難小屋の分岐に出た。
今夜は避難小屋の前にテントを張ろうと思っている。
しかし、まず水の確保が必要だ。
指導標には粟谷小屋のほうに水場と書いてあった。こっちの道を行く。
下って行くと林道に出た。道の傍らに祠があって、そこに水が流れていた。助かった。
水を補給して林道を行くと、少し上に小屋らしきものが見えた。これが今日の泊りの堂倉避難小屋だった。
小屋の中に入ってみるとすごくきれいだ。
わざわざテントを張る必要はない。小屋に泊まることにした。
外のベンチで酒を飲んでいたら、一人下ってきた。彼もここにテントを張るとのこと。彼の今回の登山目的は釣りだという。明日、東沢を溯るのだそうだ。
眠かったので5時半頃横になった。
目が覚めたら10時半であった。
小屋に泊まっているのは自分一人だった。
ろうそくを点けて、ウイスキーを飲んで1時間ほど起きていてまた寝てしまった。


近鉄名古屋駅プラットホーム


大和上市駅


大和上市のバス停


大台ケ原のバス停


つり橋があった


大蛇ーへの分岐


大蛇ー


大蛇ーへはこんな岩場を行く


牛石ヶ原





牛石ヶ原


神武天皇は大和に攻め入るときここを通った。


正木ヶ原


正木ヶ原の倒木帯


正木峠に続く木の階段


日出ヶ岳山頂


日出ヶ岳山頂




大杉谷への降り口


大杉谷に下り着いた


堂倉の滝


いくつも吊り橋を渡る


光滝


七つ釜滝


桃の木小屋


3時に起床。
食事をして、荷物をまとめ、小屋を出発したのは5時半。
林道を少し行くと、大杉谷へ下る登山道がある。
急な道を下る。
谷底へ着くと正面に吊り橋があって、右に堂倉滝があった。
大杉谷最初の滝である。
滝を見ながら少し休憩。
大杉谷はいくつも吊り橋を渡って行く。
光滝とか隠れ滝を通過。
大杉谷の代表的な景観は「七つ釜」という大きな滝だ。
登山道はこの滝の上部に出て、滝の落差分だけ急下降をする。
七つ釜を見晴らせるところには、りっぱな展望台があった。
この大杉谷の登山道を歩いて思うのだが、なんか私が昔歩いた道と違うような気がしてならない。
でも、考えてみると私がこの大杉谷を歩いたのは30年も前のことだ。その間に登山道が付け替えられたのかもしれない。
この七つ釜から少し行くと「桃の木小屋」に着く。
昔、この大杉谷には桃の木小屋しかなくて、大杉谷を歩こうとしたらこの小屋に泊まるしかなかったのだ。
小屋もずいぶん大きく立派になっていた。
小屋の前に吊り橋があってこれを渡る。
次の目標は獅子淵。大杉谷の核心部でもある。この淵の水は異様なほどの鮮やかな緑色だた。
ここを過ぎると次の目標は千尋の滝。
この滝の前にも立派な展望台ができていた。千尋の滝は本当に天から滝が落ちてくるようだ。昔、ここには「落差日本一」と書いた案内板があったことを覚えている。
この千尋の滝を過ぎるとゴールは近い。
大日ーを見て、少し行くと変電所の脇に出る。
ここから第一乗船場はすぐだ。時間は1155分であった。船は1215分に出航する。
間に合った。これで大杉発1時の松坂行きバスに乗れる。
と喜んだのだが、乗船場に降りて行くと船なんか形もない。乗船場すらない。
川の水は干上がっていて、船が通れる状態にはなかった。
あせった。
少し歩いて行くと駐車場があって、そこにいた人にきくと、船は第4乗船場から出ているとのこと。ここから30分くらいかかるらしい。
げっ、と思った。
今年の夏は水不足だというニュースを聞いていたが、それがこんなところで関わってくるとは考えてもみなかった。
4乗船場から出るのだったら、もしかしたら出航時間を遅らせているかもしれない。ほとんど走るようにして歩いた。
もうゴールだと思ったのに、さらに歩かなければいけないというのは本当につらい。
長く感じた。
4乗船場に着いたのは1225分。
船着き場に船の影はなかった。走るようにして歩いて来たのに、まったくの無駄だった。
ここで1時間20分待つことになった。
145分、黄色い細長い、いかにもスピードが出そうな船がやってきた。
結局、この船からは誰も降りてこなくて、乗船したのも自分一人であった。
大杉には10分くらいで着いた。
長い階段を登る。登ったところにバス停がある。
1時のバスは三重交通のバスで松坂まで行くのだが、220分発のバスは村営バスで、三瀬谷というところまで行く。三瀬谷というのは聞いたこともない地名で、どんなところなのかわからない。いろいろ訊くと、三瀬谷にはJR線が通っていて、今の時期は臨時特急が出ているのだそうだ。三瀬谷から名古屋まで行って、ここで新幹線に乗り換える。

東京でさらに東北新幹線に乗り換えた。この接続がものすごくスムーズにいって、家に着いたのは8時前であった。



七つ釜滝

平等ー

ニコニコ滝

シシ淵

シシ淵

千尋滝

大日ー

渡し舟

渡し舟

大杉のバス停


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BY:kudougao 2001/11/5



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