昔、それも20年以上も前のことである。
鳳凰三山から甲斐駒への縦走を計画した。
この時の登山記録が残っている。
1981年8月12日
夜叉神峠登山口10:20→11:22夜叉神峠11:40→12:50杖立峠13:30→14:42苺平→15:25南御室小屋
8月13日
南御室小屋5:55→7:13薬師岳7:25→7:48観音岳8:00→9:00アカヌケ沢の頭9:20→10:30白鳳峠→11:43広河原峠12:10→14:10広河原
8月14日
小屋5:50→6:05北沢小屋6:15→6:45仙水峠6:55→8:10駒津峰8:20→9:20甲斐駒ヶ岳9:30→10:23駒津峰10:58→12:30北沢小屋
8月15日
広河原5:15→7:05白峰お池小屋7:25→9:05稜線→9:38北岳小屋10:05→10:41北岳山頂11:00→11:25北岳小屋11:30→11:45稜線
登山手帳にはこのようにメモされている。
このときは東京の多摩市に住んでいて、夜行は使わずに朝一番の列車で出かけている。
このため歩き出したのはずいぶん遅くて10時半頃である。
夜叉神峠から入山して、第1日目は南御室小屋で泊まった。本当はもっと先まで行く予定だったのだが、バテてしまって、この南御室小屋で泊まらざるを得なかったのだ。このときは確かキスリングのザックを背負っていて、荷物もずいぶん重かったのだ。
第2日目、がんばって薬師岳、観音岳、地蔵岳と縦走したが、広河原峠まで行って、完全にバテてしまい、早川尾根縦走を断念した。
広河原峠から広河原に下って、広河原から芦安村営バスで北沢峠に行った。
第3日目に甲斐駒ケ岳に登って、バスで広河原に引き返した。そして第4日目に北岳に登ったのだ。
ともかく、今でも悔しくてしかたがないのは「早川尾根」の縦走ができなかったことである。20年来、このことが心にくすぶっていて、これをスッキリさせるために再度、鳳凰三山から甲斐駒ケ岳の縦走をすることにした。
20年前の続きをやるのだから、当然ガイドブックはその当時のものを持っていくことにした。奥付を見たら「昭和51年版」となっていた。
10月6日
小山発21時42分の上野行き快速に乗って、赤羽で埼京線に乗り換えて新宿に着く。
23時15分新宿発の急行アルプスに乗るつもりが、列車は事故で遅れて、出発は11時45分になった。甲府に着いたのは2時半頃。
広川原行きのバスは4時30分である。
この間、駅の通路に寝た。かっこう多くの人が同じようにマットを敷いてシュラフで寝ていた。
4時少し前に起きて、駅前のバス停に行った。まだ真っ暗である。
バス停はものすごい行列になった。こんなにたくさんの人が登るのかとびっくりした。バスは結局2台で出発。
夜叉神峠入り口に着いたのは5時45分頃。まだ薄暗かった。
朝食代わりにパンを食べて、6時少し過ぎに出発。
おばさんたちの登山者が多い。
歩き始めは、このおばさんたちに次々と追い抜かれた。けっこう情けないのだが、これが私の歩き方だ。
私は、歩き始めほど、意識してゆっくりと歩くことにしている。登山でバテるのは、この出発時にペースを誤るからだと思っている。
最初は速く歩けて当たり前で、そのペースが持続できるかどうかが問題なのだ。スタート時に体力を消耗してしまうと、その山行は悲惨なものになってしまう。
私はゆっくり歩く分、休憩時間も短いし回数も少ない。
約1時間歩いて稜線に登りついた。
指導標が立っている。その左に休憩している人がいて、ここから北岳が真向かいに見えた。
少し雲がかかっているが、すばらしい眺め。
ここが夜叉神峠と勘違いして、長めの休憩をとった。
歩き始めてすぐに、本当の夜叉神峠についた。
さっきとは大違いで、たくさんの登山者が休憩していた。ここには小屋も建っている。
展望もすばらしかった。
今日はいい天気になりそうだ。
峠をあとにして、再び樹林の中の道をだらだらと登っていく。
杖立峠に着いたのは8時頃であった。
さらに樹林の中の道を登りつづけて苺平に着いたのは10時頃。
私のガイドブックには夜叉神峠と苺平の間は4時間かかると書いてあるのだが、3時間足らずで着いてしまった。やはり、25年前のガイドブックだと、その間に道路事情も変わっているようだ。ともかく早く着けたのはうれしいことである。
この苺平は辻山への登りの分岐にもなっている。辻山山頂からの展望はすばらしいようなのだが、往復40分かかるので、省略した。
苺平からは30分ほど歩くと南御室小屋である。
昔、この道を登ったときはここで泊まったのだが、今回は到着が10時半。
体力もまだまだ余裕がある。
でも、ここに泊まる人も多いようだ。
話を聞いていると、このコース上の小屋は予約でいっぱいらしい。秋、紅葉真っ盛りの3連休だからなぁ。
ここで水を補給して11時頃に出発。
いよいよ、鳳凰三山の最初のピーク、薬師岳の登りになる。
樹林の中の道を登る。
12時を過ぎた頃、ようやく展望が開けてきて、行く手に花崗岩の岩の重なりが見えてきた。
砂払岳の山頂に着く。
ここからはすぐ目の前に薬師岳を見ることができる。雲がかかっていて、それが時々切れる。この霧のような雲の間から、薬師岳の山頂が顔を出す。
白い砂に覆われ、花崗岩の大きな岩が点在する姿は燕岳に似ている。
すばらしい景色である。薬師岳の麓の樹林帯は今、紅葉の真っ盛りで、これが流れる白い霧とあいまってすばらしい色彩のハーモニー。
感動。
展望を楽しんで、一旦下る。そこには薬師小屋がある。
休憩せず素通りして、薬師岳山頂をめざす。
薬師岳山頂は霧の中だった。
しかし、この霧が時々晴れて、次に登る観音岳が顔を覗かせる。
観音岳まではほとんど水平な稜線が続いている。
観音岳はときどき霧に隠れ、そして再び霧の中から現れてくる。
振り返ると、雲の間から、意外な近さで富士山が見えた。
薬師岳と観音岳の間は約40分の行程。
稜線のほぼ平らな道で、この稜線を歩いていくと、雲海の中に八ヶ岳が浮かんでいるのが見えた。
快晴ではないのだが、時々視界が開けるのだ。
雲が切れると、頭上は真っ青な空。
観音岳に着く。
観音岳は登山道の傍にあって、大きな岩が累々と重なっている。
この観音岳からは地蔵岳のオベリスクが見えるはずなのだが、霧で何も見えない。
しかし、休憩していたら雲がどんどん晴れてきて、真っ正面に地蔵岳のオベリスクを見ることができた。すごい迫力。
再度、山頂に立つと、雲が晴れてすばらしい展望が広がっていた。
オベリスクの左、雲の間から甲斐駒ヶ岳が山頂部をのぞかせている。
さらに目を転じると足元に深く落ち込む野呂川、そして北岳が鋭い三角峰となって聳えているのが見える。
また、登ってきた道を振り返ると、薬師岳と富士山が見える。
ここで大休止してしまった。
観音岳からは一旦、樹林の中を急降下する。鞍部に下りきったところに分岐する道があって、これは鳳凰小屋に直接向かう道。
私はアカヌケの頭を目指す。けっこうきつい登りだった。岩が重なる道である。
アカヌケの頭には30分ほどで着いた。
ここからはすぐ間近に地蔵岳のオベリスクを見ることができる。
たくさんの登山者が登っているのが見える。
ただ、岩塔のてっぺんまで登っている人はいなくて、岩塔の基部で休憩しているのが見える。
ともかく行ってみることにする。
今日は鳳凰小屋でテントを張るべきなのかもしれないが、もう少し進むことにして、ザックは置いて地蔵に向かった。下りきったとことが地蔵賽の河原。ここからの地蔵岳も絵になる。
賽の河原というだけあって、お地蔵様も石仏がたくさん置かれている。
オベリスクに登る。岩塔の基部まで行った。岩塔の上まで登れるようにロープが下がっているのが見えた。
でも、私は岩登りはできないので、これはパスした。
アカヌケの頭に帰って、稜線を縦走していく。
ここで完全に一人になった。
今朝、夜叉神でバスを降りた人は、がんばった人でも鳳凰小屋泊まりである。
私も鳳凰小屋の前でテントを張ろうと思っていたのだが、この地蔵岳から30分下らなければいけない。そして明日の朝は1時間かけてここまで登って来なければいけないのだ。
この時間がもったいないではないか。
水はあるので、どこか空き地をみつけてテントを張ろうと思う。
でも、本当は指定地以外での野営は禁止なのだ。
この時間になったら、完全に雲の中に閉じ込められてしまってようで、まったく視界はきかない。
岩場の稜線でアップダウンを繰り返す。
「高嶺」というピークを通過すると、道は下りになる。
その下って行く稜線にテントらしきものが見えた。
仲間がいたのだ。下っていくと、道の傍らの狭いスペースにツエルトが張られていた。
こんなところで隣にテントを張るわけにもいかないので、さらに下って行く。
4時半を過ぎたころに白鳳峠に着いた。
指導標が立っていて、その前にはテントが張れる平らなスペースがあった。
ここで野営することにした。
この前の槍、穂高では寒くてたまらなかったので、今回はシュラフカバーを持ってきた。これがけっこう効果があって、セーターを着て寝たら寒さは気にならなかった。
ただ、最近熊が出没するということを聞いていたので、それだけが恐かった。
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夜叉神峠入り口の登山口
稜線についた。夜叉神峠には右に行く
夜叉神峠の小屋
夜叉神峠
杖立峠
木の間越しに北岳が見える
苺平
南御室小屋
薬師岳が見えてきた
紅葉がきれいだ
薬師岳小屋
薬師岳山頂
縦走路を行く
観音ヶ岳への道
観音ヶ岳山頂
山頂から地蔵岳
地蔵岳への分岐
地蔵岳
地蔵岳にあった石仏
行く手に甲斐駒が見える
白鳳峠
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