1996/5/4 瑞牆山 標高 2230m

1996/5/5 浅間山(黒斑山) 2414m



瑞牆山山頂
1996年5月の連休は雪に降られてしまって、予定を大幅に変更することになった。
 





瑞牆山


この登山は青森に住んでいたときである。
5月の連休で、張り切って出かけた。
予定としては、瑞牆山と甲武信岳、両神山を登ろうと思っていた。ところが、思いもしない雪で予定を大幅に変更。
結局、瑞牆山と浅間の黒斑山しか登れなかった。

5月4日(土)

朝、4時すぎに家をでた。
東北自動車道を走り続けて、館林ICで高速を降りた。そこから一般道路を走って、高崎まで行って、もう一度高速、上信越自動車道に乗った。
佐久で降りて、そこから南下して瑞牆山に向かった。
道路地図では随分細い道路になっていて心配だったが、それなりに舗装した道路であった。最初道路標識があって、それに従って左折して入っていったら、大間違い。
もう一度戻って、走っていくと路上駐車が目立つようになった。すれ違うのに苦労するような異常な状況なのだけど、そこが登山口の瑞牆山荘であった。
ちょうどトイレの前が空いていたのでそこに車を停めて、着替えもして、出発。12時をまわっていた。
瑞牆山は特異なかっこうをした山である。見た感じは岩が累々と積み重なっているような山である。
私が最初に冬山にチャレンジしたときは、まず正月に雲取山に登って、その次が金峰山であった。そのときは韮崎からバスで増富温泉に行って、そこから歩いてこの瑞牆山荘まで来ている。そのときに瑞牆山を見たのだが、岩ばっかりで、とても自分には登れないと思ったものである。
今、こうして百名山を登るためにここに再度、立っているのは感慨無量である。
この連休でかなりの人が山に入っているみたいだが、私が登りはじめるときはもう、下山してきている人も多くて、登山口はそんな人であふれていた。
1時間弱歩いて、富士見小屋に着いた。ここもかなり人は多い。テントも張られていた。
ここからさらに30分ほど歩いて、鳥見川に着く。ちょっと下りの道であった。
瑞牆山の肩のあたりから雪が残っていて、それが氷結していて滑りやすくなっている。
登頂は2時35分であった。頂上は岩の積み重なったところで、ここからの景色は最高。すぐ近くに金峰山が見えて、頂上の五丈石がみえる。そしてその右に富士山が見えていた。頂上は切り立った崖になっていて、そこから下を見下ろすと足がすくんでしまう。
下山したのは4時15分。
ここから甲武信岳に向かう。一旦来た道を戻って、そこから秩父方面に向かい、そして千曲川の源流にむかった。登山口にたどり着いて、そこで食事の準備をしていたら、パトロールが回ってきて、ここで露営してはいけないという。
しかたがないので、ここをたたんで三国峠にむかった。ここで車の中で寝た。



瑞牆山荘、ここが登山口


富士見平小屋


天鳥川


瑞牆山山頂


金峰山の五丈岩が見える



 















車坂峠、ここが登山口



雲が流れる。天気が心配だ



火山対策避難シェルター



トーミの頭



トーミの頭



浅間山の裾野が少しだけ見えた



黒斑山山頂



浅間山



浅間山の剣が峰

5月5日(日)

スーパーでビール大缶2本と「こてっちゃん」と寿司を買ったのだが、さっき甲武信岳の登山口でビール1本飲んでしまって、こてっちゃんも1パック食べてしまった。
車の中で寝るつもりなのだが、たった1人で車を止めているというのもなんか心細いものがあって、仲間はいないかと探してしまったりするのだ。
車のなかでビールを飲んで、そして日本酒も飲んだりして、ともかく酒の勢いで寝てしまうことにする。
峠を車が通ったりすると、ヘッドライトがけっこうまぶしい。途中、目が覚めた。時間をみたら、まだ11時30分である。ちょっと寒いので、被っていただけの寝袋に入り込む。今夜はあいにくの雨である。
朝、4時位になると明るくなる。目を覚まして、車のフロントガラスを見ると、なんと雪が積もっている。
これでは、今日の甲武信岳の登山は無理である。この山を登るには10時間くらいかかるのだから、雪道ということを考えるとこれは無理である。
しょうがないので、ガイドブックをみながら今日の登る山を考えてみた。もうひとつ予定していた両神山も岩場が多くて、無理である。
そこで考えたのが、浅間山である。これなら時間もかからなくてなんとかなりそうである。
佐久を経由して軽井沢方面へ向かう。途中のコンビニで買い物をして車坂峠に向かった。
どうも道路地図の細かいのがないものだから、道がよくわからない。浅間山荘の入り口があった。浅間山の登山口となっていたので、進入しかけたけれどもどうも違う。でも、あの赤軍派の事件の舞台になった浅間山荘というのは、こんなところにあったのか?
車坂峠に向かってどんどん登っていくと次第に雪道になってきた。スタッドレスをはいたままでよかった。
車坂峠に着いたとき、空が晴れはじめてきた。青空がのぞいたときはうれしかった。
今回の山行では雪道を想定して、それなりの準備はしてきたのだが、こんな新雪を相手にすることになるとは考えていなかった。
革靴とスパッツは用意してきたが、それ以上のものはない。
ちょっと、心配だけど出発した。10時30分であった。
うれしいことに踏み跡があった。他にも登っている人がいる。心強い。
まず車山に登って下りになる。そのあたりで先発の一行に追い付いた。子供を含めた家族3人連れであった。
ここで自分が先頭に立つことになった。登山道は完全に雪に隠されていて、ルートを見つけながら歩かなければいけない。けっこう、時間がかかってしまった。
赤ゾレの頭には12時頃に着いた。驚いたことにここには火山爆発に備えた非難施設があった。今、浅間山は立ち入り禁止になっているのだが、これもそのあらわれか。
トーミの頭は意外と近かった。ここから浅間山の裾野が見えた。頂上は残念ながら雲で見えない。写真で見るとほんとうはきれいに浅間山が正面に見えるはずなのだ。
ここからもあまり苦労せずに黒斑山頂についてしまった。
12時40分であった。
下る途中では随分登ってくる人がいるので驚いた。みんなけっこう雪道で苦労しているみたいであった。特に親子2人連れがいたのだが、子供の靴がただのスニーカーで、やめたほうがいいんじゃないかとアドバイスしてしまった。足が凍えてしまうんじゃないかと思うのだ。
下山して2時25分。

さてどうしようかと考えて、ともかく佐久方面に降りようと思ったのだが、また引き返して四阿山の状況を見てみたくなった。来た道の反対方面に降りていった。
最初は舗装道路だったのが、だんだん狭くなって、オフロードになってしまった。
先行していた車がいて、これに付いていったら変な別荘地に入り込んでしまって、抜け出せなくなってしまった。庭の手入れをしていたおじさんに道を聞いたら、親切に別荘地内の地図までくれて、教えてくれた。
四阿山の方を見ると、やはり雪である。あきらめて草津白根山をめざすことにした。
草津温泉をすぎてどんどん登っていくと、なんと通行止めになっている。
その付近はやはり吹雪いていて、雪もけっこう多くて、白根山はあきらめることにした。
しかし、ここまで来たのだから温泉に入ってやろうと、草津温泉の街のなかに入った。
800円出して、草津の湯につかった。

草津の湯田をビデオに撮ろうと思って、街の中心部に入り込んだら、その道の狭さに困り果ててしまった。それにGWの期間だけあって、人も多い。
草津から沼田を目指す。
草津から吾妻に向かったのだがこの道は、昔、自分が野の石仏に凝っていた頃に通ったことのある道である。
このときは本当に若かったと思う。なんかむしょうに懐かしくって、あの頃の自分がどうしようもなく愛しいと思った。
あの時はひたすら歩いた。どうしてこんな所を長距離にわたって歩くことにしたのかわからない。
野反湖まで歩く気だったのか。
今、こうして車を走らせて、昔の道を辿っていると、今の自分が随分堕落したような気がする。道もずいぶん変わってしまったのか、石仏なんかまったく見えなかった。

沼田に出て、そこから金精峠を越えるつもりだったが、なんと夜間は通行止めなのだ。三国峠のようになんとか通れるのではないかと期待したのだが、やはりだめだった。
やむなくもう一度引き返して、桐生までいって、そこから足尾を通って日光に抜けた。
高速道路のサービスエリアで、買っておいたビールを飲んで、寝た。
朝、6時頃起きて、仙台に向かった。




TOP 日本百名山 日本二百名山 日本三百名山














SEO対策 ショッピングカート レンタルサーバー /テキスト広告 アクセス解析 無料ホームページ 掲示板 ブログ